国スポ・障スポインタビュー「“あの人”に聞いてみました!」第1弾

更新日:2023年03月31日

国スポ・障スポインタビュー「“あの人”に聞いてみました!」 とは?

 このコーナーは、令和7年に滋賀県で開催される「わたSHIGA輝く国スポ・障スポ」に関係し、様々な場で活躍、努力、応援などをされている“あの人”にインタビューを行い、大会成功に向けて市内を盛り上げていくことを目的としたPR企画です。

 今回は国スポにおいて、高島市内で開催される競技の1つであるウエイトリフティング競技にスポットを当て、安曇川高校ウエイトリフティング部を創設し、びわこ国体の運営に携わられた、元滋賀県立北大津高等学校校長の西村勇夫さんにお話を伺いました。

プロフィール

西村勇夫(にしむら いさお) さん

右手にわたSHIGA輝く国スポ・障スポマスコットキャラクター”キャッフィー”のぬいぐるみを持っている笑顔の西村さんの写真

愛知県出身、高島市内在住。
ウエイトリフティング競技では、高校時代にインターハイと国民体育大会で優勝。
大学時代にはインターカレッジと全日本学生個人選手権で優勝。
その後アジア選手権では、日本代表として4位受賞。全日本ランキングは3位となる。
また、大会不参加となった1980年のモスクワ五輪では日本代表2次候補選手となる。
びわこ国体では、旧安曇川町でのウエイトリフティング競技の開催決定に伴い、
競技を普及させるために滋賀県に教員として採用され、安曇川高校へ配属される。
安曇川高校にウエイトリフティング部を創設し、「人づくり」の指導理念を掲げた。
また、びわこ国体の運営にも携わりながら、並行して県内選手の強化にも励み続けた。
教員としては、北大津高校の校長として定年退職を迎える。
現在は滋賀県ウエイトリフティング協会の相談役として、競技を支え続けられている。

インタビュー

ウエイトリフティング競技について

質問.ご自身の現役時代を振り返っていただき、ウエイトリフティングをやっていて良かったなと思うことはありますか?

 ウエイトリフティングをやって良かったことは、何よりも滋賀県とご縁ができ、安曇川高校の多くの生徒との関わり、そしてウエイトリフティング部を創設した事です。

質問.ウエイトリフティング競技の魅力とは何だと思いますか?

 この競技は確かに、見た目は豪快に見えますが、実は非常にメンタルが影響する繊細な競技で集中力を養うには最適なスポーツです。また、自分のペースで1人でも練習できるところもある意味魅力です。

質問.私たちがウエイトリフティングを観戦する上での見どころはありますか?

 見どころとしては、地元の選手の活躍は当然ですが、競技としては階級(体重)×2.5倍以上を拳上する選手は日本のトップレベルの選手で、3倍近く挙げる選手は世界のトップレベルの選手という目安をもって観戦すると興味深いですね。普通に観戦すると「凄い、100キログラムも挙げている」となるのですが、本当に凄いのは自分の体重の「何倍」挙げているかが物差しになります。

質問.国スポに向けて高島市でさらにウエイトリフティング競技を盛り上げていくためには何が必要だと思いますか?

 市内における「安曇川高校ウエイトリフティング部」の認知度については、前回のびわこ国体開催当時とは比べものにならないくらい、多くの方が知っていると思います。いずれも堀内先生(元・安曇川高校ウエイトリフティング部監督)や西沢先生(現・安曇川高校ウエイトリフティング部監督)、高橋先生(現・堅田高校ウエイトリフティング部監督)らが築き上げたものですが、今後、国スポに向かっての盛り上げは、必然的にさまざまな形で行われると思います。
 大切なのは大会が終わって国体事務局が解散してからも、継続的に広報等に掲載していただくなど何らかの形で応援していただけると、安曇川町で2度も国体を開催したウエイトリフティング競技が更なる飛躍を遂げ、真に地元に定着し全国に誇れる競技となるのではないかと考えます。

安曇川高校ウエイトリフティング部について

質問.安曇川高校にウエイトリフティング部を創部された経緯について教えていただけますか?

 私が大学4回生の時、当時、滋賀県ではびわこ国体に備えて未普及スポ-ツであったウエイトリフティング競技の底辺の拡大のために、高校にウエイトリフティング部を創設することを目的に、昭和51年滋賀県、高等学校保健体育教諭として採用されました。
 安曇川高校に赴任したのは、昭和51年の4月でした。赴任理由は、安曇川町が昭和56年に国民体育大会ウエイトリフティング競技を開催することが決定し、安曇川高校が少年の部の会場になっていたためでした。
 しかし当時、安曇川高校にはウエイトリフティング競技のクラブもなければ練習場もない状況で、生徒もウエイトリフティングという競技に馴染みがなく、当然地元の中学校の部活にもないので、生徒に関心を持ってもらうことが難しかったですね。
 翌年の昭和52年、学校に練習場が無かったので、教員住宅の裏の小屋にバ-ベルを持ち込んだところ、足立君という部員が1人加わりましたため、私と2人で練習を開始したのが「安曇川高校ウエイトリフティング部」のスタ-トでした。
 昭和54年には部員が5名となり同好会に昇格します。その年に体育館横に小さな練習場が建ちました。この小さな練習場から安曇川高校ウエイトリフティング部の礎を築いた多くの生徒が巣立ちました。私の後を継いで安曇川高校ウエイトリフティング部の監督となった堀内先生や、安曇川高校初の全国制覇を成し遂げた吉原靖幸君もこの小さな練習場から大きく飛躍していきました。

質問.安曇川高校にウエイトリフティング部を創部された際に心がけたことはありますか?

 ウエイトリフティング競技を通じての「人づくり」をクラブの指導理念としました。人として大切な「挨拶」「礼儀」「感謝」「謙虚さ」「努力」「思いやり」等々、ウエイトリフティング競技を通じて学び、社会人になってから通用する人間の育成を目指しています。これは今も続いています。

質問.安曇川高校ウエイトリフティング部が「強豪校」になった要因とは何だと思いますか?

 私は創部時に指導理念という「種」を蒔かせていただきました。その「種」を立派な大木に育て、強豪校にのし上げたのは、教え子の堀内先生であり、現在活躍している西沢先生等の指導者、OB、OG諸君です。
 安曇川高校ウエイトリフティング部の指導理念を堀内先生や西沢先生らが伝承し、今日の安曇川高校ウエイトリフティング部を作り上げ、「急がば回れ」の説話どおり、近年のさまざまな成果に繋がり、競技力だけではなく、人間的にも全国レベルの部活動に成長したと確信しています。

 ここである教え子を紹介します。彼の生きざまに安曇川高校ウエイトリフティング部の「指導理念」が凝縮されています。安曇川高校、初の全国個人優勝を成し遂げた、マキノ中学校出身の吉原靖幸君です。当時、吉原君はこう話していました。
「自分は中学校時代に何をやっても中途半端でした。大学進学はとても無理と思い、就職するつもりで安曇川高校商業科に入学しました。ウエイトリフティング部のことは聞いてはいましたが、中学校時代はそんな厳しいクラブには絶対に入らないと決めていました。しかし入学してから気持ちが変わり、今度こそ中途半端に終わらないよう、あえて厳しいウエイトリフティング部に入り、自分を少しでも変えてみたいと思い入部しました。」
 高校時代の吉原君は平成4年千葉県ポ-トアリ-ナで開催された「全国高校選抜大会」で優勝、近畿大会優勝、国体においても準優勝と輝かしい競技実績を上げました。それと同時に、「部活と学業の両立」や、学校行事への積極的な参加など、「部活人間」にはならず大きく成長してくれました。
 その後、彼は商業科出身なので大阪商業大学に進学、文武両立を貫き、厳しい練習にも耐え、今度は「全日本学生個人選手権94キロ級」で見事優勝、それも唯一の関西勢の大学ということで当時は新聞にも大きく取り上げられました。当然学業も疎かにはせず、日商簿記検定にも合格し多くの教員免許を取得しました。スポ-ツで大学に入ると部活だけ熱心に取組み、授業や学業が疎かになるケ-スが多い中、吉原君は部活と学業の両立を大学でも実践していました。
 卒業後は教員を目指すこととなり、たまたまお母さんが福祉関係のお仕事をされていたことをきっかけに、滋賀県の特別支援学校の教員採用試験にチャレンジしました。しかし難関の採用試験には簡単に合格できず、教職の専門学校に通いながら勉強を行い、数度の受験でやっと合格しました。その後、教員生活の合間を縫ってトレ-ニングジムにも通い、滋賀県の国体成年の部の代表選手として入賞するなど、ウエイトリフティングの選手も続け、ここでも仕事とウエイトリフティングの両立を成し遂げました。特に仕事面では主任の重責を担うなど激務をこなす中、今年度、こちらも数度の受験で県立学校教頭昇任試験を突破して40代の若さで教頭先生に昇任しました。
 彼は今年の3月に教頭試験に合格した時、真っ先に私に電話をしてきて「先生、教頭試験に合格しました。自分が安曇川高校商業科に入学した頃は今の自分はとても考えられません。これまで本当にありがとうございました。先生にお会いして、もう一度自分に高校時代のような「喝」を入れてください。浮かれた自分にならないよう初心に戻りたいので、よろしくお願いします。」と連絡してきました。これを聞いた時、彼は間違いなく立派な学校管理職になると確信しました。
 吉原君は教員採用試験で何度も失敗しても決して諦めず、努力を続けた姿勢、更に教頭先生という責任ある管理職になっても「感謝」と「謙虚さ」を忘れない心構え、これは正に安曇川高校ウエイトリフティング部の「指導理念」そのもので、ウエイトリフティング競技を通じての「人づくり」が一人の生徒の飛躍につながった一例です。
 安曇川高校ウエイトリフティング部の卒業生の中には吉原君以外でも、逆境から這い上がった生徒は数多くいます。家庭が恵まれない状況の中で3年間、部活をやり遂げ、センタ-試験の前日も遅くまで後輩の面倒を見て、周りがハラハラする中、見事国立大学に現役合格した強者や、家庭の厳しい経済事情で入学前から進学を断念、高卒で滋賀県警に入り、2年前に警察署の副署長となった卒業生もいます。いずれも高島市内の出身者で、ウエイトの競技力は決して高くありませんでしたが、人間的には3年間でトップレベルに成長し、その結果が今に結びついています。大会のチャンピオンにはなれなかったが、社会人として大きく飛躍した生徒が多いのも安曇川高校ウエイトリフティング部の伝統であり、誇りでもあります。今後、学校も少子高齢化の影響で大きく様変わりする中、次世代の担い手である大切な生徒だからこそ、「人づくり」にこだわり伝えていくべき時代になったと私は痛感しています。

びわこ国体の運営について

質問.びわこ国体の運営スタッフをされた当時のことを振り返っていかがですか?

 びわこ国体については、全てがゼロからのスタ-トでしたので、特に当時の安曇川町役場の国体事務局の皆さんは大変だったと思います。ウエイトリフティング競技の関係者は私1人でしたので、当時は「大会運営」「指導者」「選手」「雑用等」の4足のわらじを履いていましたが、さすがに国体前年には選手を引退し、大会運営や選手の育成などに専念しました。
 大会運営については、国体事務局を中心として学校、役場、地域の皆さんが全面的に協力して下さり、馴染みのないウエイトリフティング競技を、一生懸命応援してくださったことが本当に嬉しかったですね。前回は安曇川高校が少年の部の会場でしたので、当時の安曇川高校の先生方には大変お世話になりました。大会が近づくと生徒、職員全員でグラウンドの草刈り、清掃を数回行いました。また大会開催中は毎日、試合が終わった会場、観客席を先生方が全員で自主的に雑巾で拭いてくださり、次年度開催県で視察に来られていた島根県の関係者が感心していましたね。
 当時は国体においても炬火リレ-(オリンピックでいうところの聖火リレーにあたるもの)があり、地元の中学生や高校生、一般の方々が参加して行われましたが、高校生の部については安曇川高校が担当し、陸上部とバレ-ボ-ル部女子にお世話になり、本番まで学校のグラウンドで受け渡しの練習をしました。これも安曇川高校のスキ-部顧問であった岩本先生にお世話になりました。今回も会場が安曇川高校なので先生方の協力体制は出来ているとのことを聞いています。また学校挙げてのおもてなしが出来るといいですね。

質問.びわこ国体の中で印象的な出来事はありましたか?

 忘れもしないことがあります。大会開催中の10月16日、安曇川高校体育館の前で大学時代の夕張の先輩と話をしていた時、北海道の北炭夕張炭鉱で大規模な火災事故発生の一報が入りました。当時、少年の部の北海道代表で出場していた夕張工業高校の生徒の保護者や関係者の方が事故に遭われたようで、急遽試合を棄権して北海道へ帰ったことを思い出します。本当に気の毒な出来事でした。

質問.滋賀県が「びわこ国体」を開催した意義とは何だと思われますか?

 何よりも、当時の安曇川町役場で国体のウエイトリフティング競技を開催していただいたことですね。そのことで安曇川高校ウエイトリフティング部が創設できました。最初はウエイトリフティング競技自体が未普及スポ-ツでしたので、他府県から来た私が「種」を蒔きましたが、その「種」に水をやり、苗木を育て、花を咲かせ、実を結ばせたのは、まぎれもなく安曇川高校ウエイトリフティング部で育った、高島市出身の指導者(先生)、OB、OGでした。国体を開催する最大の意義、そして目標とするのが、この「サイクル」ではないかと私は思います。びわこ国体の財産が今花を咲かせています。

わたSHIGA輝く国スポについて

質問.滋賀県で開催される国スポについていつ頃から大会を意識し始めましたか?

 私が滋賀県の教育委員会にいた頃に、滋賀県で2回目の国体が開催されることは知っていました。すでに安曇川高校ウエイトリフティング部は全国レベルで活躍していたので、思いとしては、安曇川町でもう一度国体を開催してほしいとは思っていました。滋賀県での開催は決まっていましたが開催市町は未定であったので、当時安曇川高校の監督であった堀内先生に「何とか安曇川高校で開催できるように、協会としても働きかけてはどうか。」と進言したことはあります。

質問.国スポ開催に向けて、何か個人的に取組んでいることなどはありますか?

 現在、私は滋賀県ウエイトリフティング協会の相談役で、表立った活動等はしていません。しかし前回のびわこ国体の大会運営、国体事務局経験者の1人として何かお役に立てることがあれば、何時でもお手伝いはさせていただきます。
 大会に向けては、これまで堀内先生が育てた多くの卒業生が各方面で活躍しています。
それら卒業生が本番ではさまざまな形で協力してくれると聞いています。これも堀内先生が残してくれた大きな財産です。特に高校生、中学生、ジュニアの強化担当の指導者、ウエイトリフティング協会の中枢はすべて安曇川高校ウエイトリフティング部の卒業生が担っています。特に、協会事務局長は市役所の渡邊君が担当し、国スポ開催において最も重要な「競技団体」と「開催市」とのパイプ役を担っています。本番開催に向けて競技関係の人的基盤は確立していると思います。また、安曇川高校には新練習場が7月に完成し、これまでの練習場より更に広くなることから選手の練習環境が整うため、選手強化の拠点となって本番での有望選手の活躍が期待されます。

質問.高島市で2度目の開催を迎える国スポについて、何か思うことはありますか?

 びわこ国体に続き、再び高島市で国スポのウエイトリフティング競技が開催され、会場が安曇川高校に決定したことは、今から40年以上前に安曇川高校にウエイトリフティングの「種」を蒔かせていただいた者として感無量とともに、引き受けていただいた高島市と安曇川高校に対して感謝の気持ちで一杯です。
 そして、この大会誘致に誰よりも強い思いを描き、人生をかけて奔走した私の教え子である元・安曇川高校教諭の堀内先生もさぞかし喜んでいると思います。彼の教え子で現在の安曇川高校ウエイトリフティング部監督の西沢先生、堅田高校ウエイトリフティング部監督の高橋先生ともに堀内先生の志を受け継いだ滋賀県の優秀指導者として、両校を更に飛躍させ全国チャンピオンを何人も育成し、国スポ開催、成功に向けて日々頑張っています。
 国スポは地域との連携が不可欠です。大会に向けてジュニア指導などの地域に根ざしたウエイトリフティング競技の活動を目指していきます。今後ともさまざまな形でウエイトリフティング競技への応援よろしくお願いいたします。

質問.国スポを高島市内でさらに盛り上げていくためにはどのようなことが必要だと思われますか?

 国体は競技も重要ですが、選手、役員がもっとも印象に残っているのは、民宿での対応や地域との交流会です。5年後、10年後話題に出るのもこの事です。地域の人たちも選手との交流を一番覚えています。コロナで何かと制限を受けると思いますが、何とか工夫して監督、選手、役員と地元との交流する催しを考えてみてはいかがですか。
 また競技の様子は動画配信でネットでも見られるようにするのも1つの方法です。試験的に大会前年のリハ-サル大会(令和6年に高島市で開催される全日本ウエイトリフティング選手権大会等)から実施することも一案です。また、市内の有望選手・国体選手の紹介や、練習模様等を不定期で国スポ本番まで動画配信をすることも面白いかもしれません。時節柄、会場に出向かなくても市民の方々に周知ができるネット配信は検討の余地があるかもしれません。

安曇川高校ウエイトリフティング部OBの清水先生と西沢先生の2名と西村さんが横一列に並んでいる写真
バーベルが置かれた室内練習場で高校生が練習を行っている様子を西沢先生が見ている写真
管理室入り口の壁上に掲げた安曇川高校ウエイトリフティング部OBOGの名前札を西村さんが右手の人差し指で差している後ろ姿の写真

【1枚目】西村さんの意志を受け継いだ、安曇川高校ウエイトリフティング部OBで顧問の西沢先生(右)と清水先生(左)
【2枚目】現在の安曇川高校ウエイトリフティング部の練習の様子
【3枚目】練習場内に掲げられた安曇川高校ウエイトリフティング部のOB・OG全員の名前札を見返す西村さん

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