「琵琶湖周航の歌」の基礎知識

更新日:2023年03月31日

ご存知ですか?「琵琶湖周航の歌」の基礎知識

今津の宿で誕生した「琵琶湖周航の歌」は平成29年(2017)に100周年を迎えました。
100年歌い継がれるこの名歌には、歌詞・曲調の素晴らしさだけでなく、人を魅了する興味深いストーリーが存在しています。知ればもっと好きになる♪ 歌にまつわるアレコレをまとめてみました。

誕生日

  • 曲 大正4年(1915)8月
    (原曲「ひつじぐさ」が雑誌「音楽界」8月号に発表される。)
  • 詞 大正6年(1917)6月28日
    (琵琶湖周航の途次、小口の詩を「ひつじぐさ」の曲に乗せ合唱した。)

作詞

  • 小口太郎 生年 明治30年(1897)8月30日
  • 没年 大正13年(1924)5月16日
  • 作詞当時19歳(三高2年生)、享年26歳。

作曲(原曲)

  • 吉田千秋 生年 明治28年(1895)2月18日
  • 没年 大正 8年(1919)2月24日
  • 作曲当時20歳、享年24歳。

誕生秘話

「今日ボートを漕ぎながらこんな詩を作った」と小口が琵琶湖周航2日目の今津の宿でクルー仲間に披露し、彼らは学生の間ではやっていた「ひつじぐさ」の曲に合わせて歌ったのが誕生した瞬間である。月日まで特定できるのは当時のクルー仲間が「今津の宿で歌った」と証言していることと、小口が今津から京都の学友に出した葉書が現存し、その消印から。詞は翌年夏までに補完され6番まで完成した。今津での宿は「長濱屋」「福田屋」「丁子屋」のどこかだと研究者飯田忠義氏は書いている。

育ての親

三高(現京都大学)同窓会が寮歌として歌い継いだ。三保ケ崎に三高のマークのボート小屋が残る。

周航とは

三高水上部(ボート部)では明治26年から2~4泊程度で琵琶湖一周する行事が恒例になっていた(26年は4泊行程、2泊は強行スケジュール)。たとえば大津三保ケ崎から1泊目、雄松(近江舞子)、2泊目、今津、3泊目、彦根で、長命寺(近江八幡)に寄港して大津へ帰るコース。

ボート

小口太郎たちが琵琶湖周航に使ったのは、座席が固定されたフィックス艇と呼ばれるボート。7~8人が乗船(うち漕手6人)。太郎のポジションはコックス(舵手)に対面する隣席の「整調」だったという。昭和43年の第23回国体まで正式ボート種目で使用されたが、昭和末くらいで姿を消した。平成5年に愛好者の尽力で2艇が復元された。「千秋・太郎号」(琵琶湖周航を復活継承する会)、「よど号」(琵琶湖周航愛好会)。この2艇は平成10年に旧今津町に寄贈され、市ケ崎の艇庫で保管、利用されている。琵琶湖周航の歌資料館には4分の1模型が展示されている。

歌手

ボニージャックス(昭和36年12月 戦後初のレコード化)、ペギー葉山、フランク永井、都はるみ、小林旭、渡哲也、倍賞千恵子、など多数。レコード類は65種ともいわれる。中でも昭和46年に大ヒットさせた加藤登紀子は有名。

作曲者探し

原曲となった「ひつじぐさ」の作曲者は長らく判明せず、昭和46年の加藤登紀子のレコードにも「小口太郎作詞作曲」とあり、その頃から熱心な研究者の作曲者探しが始まる。堀準一氏は54年に「吉田ちあき作曲」とまで迫るが身元は不明。平成5年旧今津町で周航の歌誕生75周年記念事業が計画される中、「吉田千秋は東京から新潟に住所を移している」との手がかりから新潟の地方紙に千秋探しを依頼。新潟日報の6月11日夕刊に掲載された記事が、歴史地理学者「吉田東伍」の地元の研究者の目に止まり、東伍の次男「吉田千秋」へと結びつく劇的な展開があった。

資料館

琵琶湖周航の歌資料館は、昭和47年建築の今津勤労者センターを改装して平成10年4月に開館した。平成14年4月に増築されている。

令和2年4月1日から今津東コミュニティセンターへ移転し、リニューアルオープンした。

記念碑

  • 大津市三保ケ崎 (全歌詞) 昭和48年6月3日(碑に大正7年歌創作とあり注意要す)
  • 近江舞子浜 (2番歌詞) 平成元年3月23日
  • 今津港(桟橋 泊火) (3番歌詞) 昭和60年6月22日
  • 今津港(親水公園) (全歌詞) 平成6年4月22日
  • 竹生島 (4番歌詞) 昭和62年5月31日
  • 長浜(豊公園) (3番歌詞) 平成29年6月25日
  • 彦根(彦根港突堤) (5番歌詞) 平成17年10月14日
  • 近江八幡(長命寺港) (6番一部)  平成10年4月11日
  • 近江八幡(長命寺境内)(6番歌詞)  平成23年11月5日

交流

小口太郎の出身地、長野県岡谷市の諏訪湖畔の釜口水門河川公園に小口太郎像と歌碑(江崎玲於奈の筆による)がある。昭和63年 太郎生誕90年を記念し岡谷市が建造した。地元では小口太郎顕彰碑等保存会を結成して顕彰に努力されている。
吉田千秋の出身地、新潟市秋葉区(合併前の新津市)では「ちあきの会」を結成して活動している。千秋の父・吉田東伍の記念博物館(阿賀野市保田)でも千秋コーナーを設け資料を展示している。

発展

今津中学校で平成7年にボート部が誕生し、数年後に高島高校にも誕生。全国大会で活躍している。
未草(睡蓮の別名)は、きれいな水環境で生育するといわれ、饗庭野八丁田湿原に見られるという。環境を守る今津の会では水環境を守るシンボルとして増殖活動に取り組んでいる。

一枚の葉書全国コンクール

歌が今津で誕生したことを示す太郎の葉書にちなみ平成9年に琵琶湖へ寄せる思いを募集したコンクールには2814通の応募があり、入賞作品が1冊の本になっている。

偶然

吉田千秋は未年に生まれ、未年に逝去。また小口太郎が今津から出した葉書に「羊草の生えた池」とあり、当夜作詞にあわせて歌った曲が「ひつじぐさ」。

混同

琵琶湖哀歌は、昭和16年4月6日に起きた旧制四高(現金沢大学)ボート部員11人の遭難死事件を悼んで作られヒットした。周航の歌が昭和46年の加藤登紀子のヒットまで知名度が低かったこともあってか、周航の歌は琵琶湖哀歌をまねてあとから作られたと勘違いする人が多い。

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