興聖寺(こうしょうじ)・旧秀隣寺庭園




- 場所:高島市朽木岩瀬374番地
- 電話:0740-38-2103
興聖寺は、僧道元が近江守護佐々木信綱に建立を勧めたのが始まりといわれる寺院です。元は安曇川の対岸の上柏村指月谷にありましたが、江戸時代に大火に遭い、朽木氏ゆかりの秀隣寺のあった現在地に移ってきました。秀隣寺は、朽木宣綱が、慶長11年(1606年)に正室の菩提を弔うために、かつての岩神館のあった地に建立した寺院です。
興聖寺は文政11年(1828年)に本堂が焼失しましたが、安政4年(1857年)3月に朽木大綱公の寄進で25世仙英和尚の代に再建されました。朽木家代々の菩提所です。
本堂内には国の重要文化財の本尊釈迦如来像坐像が安置されています。また、敷地内には国の名勝の旧秀隣寺庭園が所在します。
本尊釈迦如来像坐像
950年前、後一条天皇と中宮藤原威子との間に出生された皇子が朽木に隠されていましたが、薨去後、藤原頼通は仏師に三尊仏を祀り、皇子の霊を慰められました。その一体が本尊釈迦如来坐像で定朝一派の作品で伝教大師の遺作と称せられ、平安時代の名作といえます。檜の寄木造りで、その優美さと尊厳さをそなえた仏像です。
旧秀隣寺庭園
享禄元年(1528年)の秋、12代将軍足利義晴が、京都の兵乱を避け、朽木稙綱を頼ってこの地に身を寄せます。この時、稙綱が将軍のために造営したのが岩神館で、館内に造られたのが、現在残る庭園です。将軍義晴は、享禄4年(1531年)まで3年間滞在しました。
秀隣寺は、朽木宣綱が、慶長11年(1606年)に正室の菩提を弔うために、かつての岩神館のあった地に建立した寺院であることから、この庭園は、正しくは「岩神館庭園」と呼ぶべきかもしれません。
庭園は、安曇川が形成した段丘の縁にあり、安曇川の清流、そしてその背後に横たわる蛇谷ヶ峰を借景としています。池泉鑑賞式の庭園で、左手の築山に組まれた「鼓の滝」から流れ出た水は池に注ぎます。曲水で造り上げた池泉には石組みの亀島、鶴島を浮かべ、中央付近には見事な自然石の石橋を架けます。随所に豪快な石組を配する、全国屈指の武家の庭です。
岩神館の庭園を作庭したのは、当時の政治的な有力者であり、かつ風流人としても名高い管領細川高国と伝えられています。
交通アクセス
車で
- 京都から国道367号経由で約1時間15分
(京都大原から約35分) - 京都から国道161号、堅田経由国道367号で
約1時間25分 (琵琶湖大橋から約35分) - 京都から国道161号、安曇川経由で約2時間
(安曇川から約20分) - 小浜から国道303号、367号経由で約50分
JR・バスで
- 湖西線安曇川駅から路線バス(江若交通)で約30分(岩瀬または朽木学校前下車)
- 京阪電車出町柳駅から京都バスで約1時間30分
(朽木学校前下車)
問い合わせ先
公益社団法人 びわ湖高島観光協会
電話 0740-33-7101
更新日:2023年03月31日